最近購読しはじめたブログに、こんな記事が掲載された。
risa.hatenablog.com
素晴らしい紹介記事だ。早速Kindle版書籍を購入した。
さて、ちょっと上の記事とは趣旨は違うかもしれないけれど、私も「語彙力」について温めていたネタがあるので、いい機会だから書いてみようと思う。
私も「語彙力」は非常に大事だと思うが、一時期言葉について悩んだことがある。というのも、「本当に頭の良い人は、平易な言葉で話す」という意見をどこかで読んだことがあり、そこでは小難しい言葉を使う奴はただのインテリ気取りのイヤミな奴だなんていう主張をされていた為だ。
私はもともと読書好きで人よりも語彙力には自信がある方だ。それ自体は良いことだと思うのだが、自分でも気づかないうちに難しい言葉を使ってしまう傾向がある。前述の記事を読んで、ひょっとして自分もいたずらに言葉を飾り立て、権威づけるためにわざと難しい言葉を使うイヤミな奴になっていやしないかと、本気で悩んだのだ。
しかもPCのヘルプデスクをしていた頃などは極力平易な言葉で話すようにトレーニングされ、専門用語や業界用語は使用を禁止されていたため、なんとなく小難しい言葉に対してネガティブな感情もあった。
平易な言葉でも説明できるのに、わざわざ難しい言葉を持ち出してくる必要があるのか
と。
しかし今なら「語彙力が増えると世界が変わる」という意味がよく分かるし、やっぱり語彙力は大事だと思う。
言葉は何かの物事や概念と結びついている。
単純な概念が組み合わさると複雑な概念になるが、これを個々の言葉の組み合わせで説明しようとすると長い説明になってしまう。
この状態で複雑な概念を説明したり、高度な議論をしようとすると、非常にくどい説明になってしまう。また、言葉と言葉が絡み合って、全体として何を言いたいのか把握することが難しくなる。
そこで、一度理解した概念には、言葉をマッピングさせておく。
多少難しい言葉になってしまうが、その言葉と概念のマッピングが正しくできていれば、物事の把握はすこぶる簡単になる。
これって、プログラミングに似ている気がする。プログラミングでも、小さな命令の塊に名前をつけて扱いやすい部品を作ることができる。そう、サブルーチン・関数などの機能である。もしこれらの機能がなければ、ひとつひとつの命令を逐一追いかけていかないと何をやっいるかわからなくなるし、ソースを読んでいて途中で頭がこんがらがってくる。
複雑なプログラムを作ろうと思ったら、サブルーチンの分割や関数化などは必須のテクニックである。小さな命令の単位で全体を把握するのは極めて困難だ。
同じように、複雑な概念を扱った議論をしたり、高度な話を理解するには、やはり難しい言葉が必要なのだ。