論語に「辞は達するのみ」という言葉がある。
これは「言葉はその意味が相手に伝わることが大事だ。」という意味だ。
孔子が何を伝えたかったかという話は、以下2通りの解釈がある。
- だから分かりやすく慎重に言葉を選択するべき
- だからいたずらに飾り立てず、些細なことに拘らず、意味の方を大事にすべき
(達してないやん。。と思ってしまうがそれは置いといて)
さて、言葉はさながら生き物のように、時代と共にその意味や解釈が移り変わる。
ところが最近SNSの発達のおかげで原義の方がまた勢力を盛り返すようになって面白い。
言葉の本来の意味を知っている人、知らない人、気に掛けるひと、掛けない人が入り混じってコミュニケーションに多少の支障を生む。SNSでは日本語警察とか、マサカリと呼ばれるアレ。
しかし、孔子が言ったように言葉は意味を伝える道具。所詮道具なので、誤用に目くじらを立てる暇があったら相手が何を言いたかったのか、言葉尻ではなく総合的に判断してきちんと「意味」を受け取るようにしたい。
人間、全ての言葉を辞書どおりに正確に話すことができるか?まぁ、無理だろう。
多少なり間違って覚えているものである。
伝える側は相手に合わせて最大限に言葉を選ぶ、受け取る側は相手の意図を理解するべく努力する。
それでうまくコミュニケーションが取れるんじゃないかと。
円滑なコミュニケーションの為には、言葉は所詮道具であることを改めて心にとめておきたい。
「伝える」「理解する」という本来の目的を忘れないよう自戒を込めてここに記す。