世の中には、少数ではあっても、仕事をしないで生活できている人もいる。
なぜ仕事をしなければならないのか。
働かなくて良いひとは、本当にうらやましい。
最初はそう思っていた。
私の考えが変わったのは、アダム・スミスの国富論を読んだことがきっかけだ。
- 作者: アダム・スミス,山岡洋一
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞社出版局
- 発売日: 2007/03/24
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といっても、結構なお値段なので、正直に打ち明けると本屋でななめ読みしただけだ。
しかし立ち読みした短い範囲のなかで、素晴らしい知見を得られたように思う。
たしか、富とは金銀財宝のことではなく、労働によって生み出される価値のことだと説明されていた。
(読んだのはずいぶん前のことなので正確な表現は忘れた。)
書籍のなかでは、ピンを作る工場を例に分業について語られているが、ピンといってもいまひとつ実感が沸かないと思うので以下に私なりに別の例でかいつまんで説明してみる。
自給自足の時代、自分が働いて手にした食料はそのまま自分のものになった。
ただしこれだと漁師は魚しか食べられず、農家は野菜しか食べられない。
両方やるのは大変だ。
だから、物々交換が始まった。
これは、自分の労働の成果と、他人の労働の成果を交換する行為である。
漁師は漁に専念することで、よりたくさんの魚をとる技術を習得し、農家は農業に専念することで、より確実に野菜を育てる技術を習得していった。
現代社会において、車・テレビ・冷蔵庫・洗濯機・エアコン・パソコン・コンビニ弁当などなど、あらゆるものが他人の労働の成果である。
物々交換ではさすがに不便なので貨幣が導入されたが、我々がやっていることは結局労働力の交換に他ならない。
労働力の交換が成り立つことで、それぞれが自分の専門分野に集中することができ、より多くの成果を得ることができる。
ざっくり図解してみた。
以下は自給自足の場合
自分が働いただけの成果を受け取っている。
人間一人が働いて得られるものなど、本来は1日3食のメシがやっとだ。
以下は分業化の成果
自分が働いた以上の成果を受け取ることができる。
現代に生きる我々は、中世の貴族なんかよりよほど贅沢な暮らしをしていると思う。
これは社会の発展のおかげであり、高度な分業化の成果である。
私の微々たる労働力と引き換えに、皆様方のすばらしい労働の成果を分けていただくことで、快適な暮らしを手に入れることができる。なんとも素晴らしい仕組みである。
私が働くのはこのような社会の仕組みに納得し、参加しているためである。
働かずに金が欲しいというのはつまり社会に何の貢献もしていないのに、おこぼれに与かろうという邪道な考え方だと思う。
毎日代わり映えのない仕事を続けていたら嫌になるのも無理はない。
楽して儲けられると聞いたら、その恩恵にあやかりたいとも思う。
そんなとき私は国富論を思い出して、自分が働いている意義を再確認するようにしている。