今回はこちらの書籍を読んだのでレビュー。
読み始めると面白くて数時間で読破してしまった。読書のきっかけ
先日から電気回路の学習をしているのだが、キルヒホッフの第一法則(電流則)のところでちょっとした疑問が生まれた。
簡単に言えば、回路のどの点においても入ってくる電流の合計と出ていく電流の合計は等しいっていう法則である。
私が感じた疑問は、こんな当たり前のことがなぜキルヒホッフの第一法則なんていう名前で大層に祭り上げられているんだろうということ。別に深く考えずとも直感的に分かりそうなもんだ。
そこで思い至ったのが、電気は目に見えないから当時は大発見だったのでは?という仮説。このことから電気史的なことに興味を持ちAmazonで評判の良さそうな本を選んでみた次第。
内容
琥珀を摩擦すると物がくっつくという静電気の発見からコンピューターの登場までを扱った電気の歴史本。
登場人物の人柄やエピソードを織り交ぜて、先人の研究を糧として新しい発見が次々となされていく様子が描かれている。
意義
この本の意義については「はじめに」で著者の藤村哲夫さんが述べられている内容がまさにその通りだなというのが読後の感想。
下手に私がああだこうだ書くよりもそのまま引用したほうが伝わりそうなので、私が特に素晴らしいと感じた部分を引用させていただく。
わが国の科学技術教育は、結果だけが重視されて、それに至る道筋が軽視される平面的な教育のように思います。それでは学問が無味乾燥なものになり、身につきません。私は「教育の立体化」を提唱しています。現在の平板な科学技術教育に「歴史」という時間軸を加えることによって、立体的になります。薄っぺらな二次元の教育から、どっしりとした厚みのある三次元の教育になるのです。本書では、その立体化を試みました。すなわち、結果とともにその結果に至るプロセスを重視して記述するようにしました。
特に気に入った部分
P85にこんなことが書かれている。
たしかに偶然が大発見につながることはありますが、それは決して単なる偶然ではありません。いつも問題意識を持って考えている人にのみ偶然の女神はほほえむのです。漠然とものを見ている人には、そのチャンスは与えられません。
まさに問題意識を持ち、仮設を立てて根気よく実験を繰り返した先人達の物語。この姿勢を見ているとモチベーションが沸き上がってくる。
彼らの時代はまさに暗中模索で、電気の単位も、計測の方法もイチから作られてきたのだ。
それらの発見の成果が綺麗に書籍にまとめ上げられて、分かりやすい解説で勉強できている現代人は電気の学習において非常に恵まれた環境にある。
ならば分からんと嘆いている場合ではないな。俺が再発見してやる!くらいの気概で臨まないと。
解消された誤解
電気といえばまず最初の用途が電灯だと思っていたし、電球の発案はエジソンだと思っていた。実際は電信が最初だったし、エジソンは実用的な電球を開発しただけで、元となる電球(1~2時間しか持たない)は別の方が作っている。
もちろんエジソンは素晴らしい仕事をしたと思うけど、歴史を振り返るとこれまで名前も知らなかったような人達も、エジソンに負けず劣らずの素晴らしい働きをしてることが分かる。また電球の改良にはエジソン以外にも多数の研究者が挑戦していたようなことも書かれていた。そう考えると、科学は一部の天才が作ってきたのではなく、古代から無数の研究者によって脈々と受け継がれてきたものだと言える。その研究が実を結んだ人が後世に名を残しているだけで、影の貢献者というのもまた無数にいるんじゃないかと思う。
たとえばAさんがとある現象について方法1で研究してるとして、Bさんは同じことしてもしょうがないからといって方法2を試す。そしたら方法2が当たって有名になったとする。結果的にAさんは推論を外したのかもしれないけど、BさんはAさんが方法1を試しているから方法2に注力したんだと考えると、その研究成果においてAさんも間接的には一定の貢献があったと言えるんじゃないか。
あるいは9割方完成している研究で最後の決めの1手がずっと見つかっていなかったとすると、その最後の1手を発見した人に大きな栄誉が与えられるけど、じゃあ最初に9割完成させた無名の人々の貢献が最後の1手に劣るかというと決してそんなことはない。
影の貢献者が無数にいると述べたのはそういうことである。
ここで言いたいのは、私のような無名の一般人でも常に問題意識を持ち考え続け、そして発信し続けることが社会への貢献に繋がるのではないかということ。私がこの本によって得たモチベーションは、そういうことである。
キルヒホッフの法則に対する疑問はどうなった
そこまで掘り下げた解説はなかったけど、オームの法則の方にちょっとしたヒントがあった。
今では自明とされるオームの法則は、当時ドイツの学会では認められず、その理由が「経験的なものの中には気まぐれが含まれている。理論の裏づけがないものは認められない」という哲学者ヘーゲルの考えを踏襲するヘーゲル一派の主張だった。つまり10000回やって正しくても10001回目でコケる可能性もあるんじゃね?もっとなんかこう哲学的な思考で徹底的に理論作ってこいって話。数学の証明的アプローチは認めるけど統計学的アプローチは許さん的な感じかな。
そう考えると、電気って目に見えないので当時キルヒホッフの法則が受け入れられたというのは結構大きなニュースなのかもしれない。
また、法則っていうと真理の発見!ってイメージを持っていたけど、どうやらそういう感じでもなくて、回路の計算で使う道具としての性格が強いような印象を受けた。道具には名前があった方が便利なのでまぁ当たり前の現象に対して電流則・電圧則という共通言語を生み出した点でも非常に良い貢献だったのかもしれない。
ということで、まだピンと来てない部分はありつつもこの後の計算で使っているうちに馴染むだろうという実感を得たので一旦解決。
総括
さくっと読めて当時の発見の様子にワクワクできる良書だった。
確かに電気に関する理解に奥行がでた気がする。
オームと聞いてドイツ学会での苦労を、ボルトと聞いて異なる金属板で舌を挟むとピリピリするというエピソードからボルタが化学電池のアイデアを閃いた話を、アンペアと聞いてアンペールがエルステッドの論文に興奮し追加実験を行う様子が思い浮かぶ。
電気回路や理論について学習している方に副読本として是非おススメしたい。
以上