これまでの学習で自分は細かいところで躓いて、色々と疑問が解消するまで次に進めないと思い込んでいたけど、Sympyを使って微積分の学習をしているとどうやらそうでもないらしいということに気づいた。
ちょうど積分の学習に差し掛かった頃、次の表現が出てきた。
最初に見たときの感想は、
は?なにひとつイコールじゃないんだが?
というもの。
多分、プログラミング言語の代入を初めて目にする人ってこんな感想なんだろうな。
。。という話は置いておいて、要は でいうところのというのはでいうところのに相当する、単に求める対象を表す記号なんだなということに気づいた。解説によるとは面積(y×dx)の積分にあたるらしい。
あとややこしいのはの部分。を計算したらになるという意味のようだ。
つまり最初の=とは意味が違う。
これは積分の公式というのが書籍で紹介されていたので当てはめてみる。
Sympyを使って計算。説明によるとインテグラル記号とディーエックスは「積分するんですよ」という指示にすぎないので計算には関係ないので外しておく。今回のようなという風にが定数倍されている場合はという風に分離してを積分してから定数3を掛ければ良いとのこと。さらに積分定数Cは最後に足して完了。
つまりここで重要なのはを公式に当てはめて変換するだけ。
Sympyを使ってやってみると、
確かに、となることが分かった。
積分の公式は正直なんでそうなるのか分からないけど、不思議なことに受容できてしまっている。
これまで、学習を前に進めるためには「理解」が必須だと考えていたのだけど、最近はそうでもなくなってきた。
理解しなくとも受容さえできれば自分は次に進めるのだということに気づいた。
ではその受容条件は何なのか?
人によって「分かった」となる条件は千差万別。自分はどこに到達すれば納得して次に進めるんだろうか。
考えてみると、「再現性」を担保できた時点ではないかということに思い至った。
理由を知りたがるのはつまり、個別の答えが分かってもそれだけでは応用が効かないからである。
原理が分かっていれば値が変わっても計算ができる。だから原理を知りたがる。
でも物事を応用するために必ず原理を理解しないといけない訳ではない。
公式丸暗記でも、計算をコンピューターが肩代わりするでも何でも良い。
要は再現性さえ担保できれば、応用できるのだ。
そして先に進むことで学習した内容が繋がり、結果的に理解にたどり着くのもそちらの方が早いということが往々にしてある。
つまり今回の考察により、「さっぱり分からん!!」となったときにそこで躓かないために、「再現性が担保されたかどうか」という基準を手に入れた訳だ。
今度から何か困っても、再現性は担保できたから一旦受容して次にすすもう!という判断ができる。
この気づきって割と大きいんじゃないかなと思う。